---コースご案内 半日コース---

1.北条氏政・氏照の墓所

天正18年(1590)に豊臣秀吉が、北条氏を攻略した際に、時の城主氏直は高野山に追放され、父氏政、その弟氏照の両人は責任を負って自刃しました。

2.幸田口門跡

小田原北条氏時代は大手門でした。上杉謙信や武田信玄が小田原城を攻撃した際、この付近で激しく戦いがありましが、北条軍を打ち破ることはできませんでした。

3.鐘楼(大手門跡)

箱根口から追手御門、明治には裁判所の北東隅と移され、大正時代に現在地に移されました。

4.馬出門

内冠木門と土塀とで周囲を囲む枡形門構造で、馬屋曲輪へ通ずることからこの名が付いたとみられます。

5.銅門(あかがねもん)

馬屋曲輪から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。渡櫓門、内仕切門と土塀で周囲を囲む枡形門の構造を持ちます。その名の由来となった銅板の装飾が映えます(平成9年復元)。

6.小田原合戦攻防図

天正18年(1590)4月、関東最大の勢力を誇る小田原北条氏の本拠地小田原城は全国統一を推し進める関白豊臣秀吉率いる諸大名の大軍に包囲されました。

7.常盤木門・本丸・天守閣下(本丸広場)

常盤木門は小田原城本丸の正面にあたります。天守閣は、昭和35年(1960)鉄筋コンクリート造で復興されました。

8.報徳二宮神社

明治27年(1894)二宮尊徳を祭神として小田原城二の丸小峯曲輪の一画に創建されました。

9.大久寺

徳川家康の重臣であった小田原城主大久保忠世が天正19年(1591)に開基し、日英が開山した、大久保家の菩提寺です。初代・忠世、2代忠隣など7基の墓石が並んでいます。

10.板橋見付跡

板橋見付は戦国時代には無く、江戸時代になってから造られました。東海道の西の出入り口の為、上方見附とも言われました。喰違(くいちがい)の構造の道路が現在もそのまま残っています。

11.古稀庵

山形有朋が明治40年(1907)に古稀を記念して建てた別荘です。庭園は、日本古来の「山水回遊式庭園」の形式をあえて採らず、「自然」とりわけ「水流」に求めた「自然主義的庭園」の形式を採ったとされ、近代日本庭園の傑作とする評価もあります。

12.秋葉山量覚院

小田原城主大久保忠世が、天正18年(1590)に故郷の遠州(静岡県)の秋葉山参尺坊大権現(烏天狗)を勧請しました。126日夜に白装束の修験者(山伏)が行う火防(ひぶせ)祭は有名です。

13.板橋地蔵尊

小田原を出た旅人はこの地蔵尊で箱根越えの無事を祈り、また、箱根を越えて来た旅人は無事を感謝し参詣したので賑わったそうです。

14.小田原用水取水口

小田原用水は、小田原北条氏時代にできたものと考えられ、我が国最古の水道施設と言われています。この地で早川の水を取り入れました

 

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